Sinful Blue

負ける!やめる!あきらめる!希望を捨てたら幸せが見えてきた / ポール・ピアソール

Filed under: 仕事?,感想いろいろ,本・雑誌 — よしけん。 at 11:59 am on 木曜日, 7月 27, 2006

以前、「そんなに前へ前へ、上へ向かって進む必要があるの?」と疑問を呈したことがあります。
(過去記事:「後ろ向き」http://www.sinfulblue.com/2005/07/15/aith/

そんな気持ちに応えるかのような本を見つけました。
負ける!やめる!あきらめる!ってひどいタイトルだなぁと思いつつ読破。
なんだか重くて難しい本でした。
自分の考えがまとまらないので目に付いたところを適当に書いてみます。

自己啓発本には、科学的根拠がない。ひとつの別産業になってしまっている。
自分を愛せない人は他人を愛せないというのはウソだ

「人生を充実させよう」と考えるのではなく、「人生を味わい尽くそう」と考えるのだ。
あとちょっとを欲しがるのではなく、今持っているものを丁寧に味わってみる。

ポジティブ思考とは「今よりもっと良くしよう」という考え方。
だから常に周りの物事に対し、良い/悪いの評価をし続けなければならない。
一歩下がって後ろから他人事のように評価するのではなく、今自分が経験している感情をありのままに受け止めて意識的にしっかり感じることが大事。

ポジティブが行き過ぎると、「希望」に目がくらんで今の自分が見えなくなる。

苦しみは自分の心に存在しており、人生の一部として必要なものだ。
完璧な満足と完璧な幸福を欲しがるのは、単なる無い物ねだり。
「全てを手に入れることができる」というのはまやかしだ。
それを目指して頑張っても、自分の生命をすり減らし、人間関係をダメにするだけだ。
苦しみはあってはならないことだと思うと、よけいに苦しさは増す。

確かに思い当たるところはあるかな。
「前向きに考えよう」と思い始めると、つらいことに目を背けるだけの思考停止状態になってる場合が多いように思います。
ひたすら突っ走るだけの状態をやめて、ゆっくりと歩いて今の状況をじっくり感じ取り、しっかり考えることを「マインドフル」と呼ぶと書いてありました。
バランスよくマインドフルになれると良いなと願いつつ。

雑誌の取材

Filed under: 一般,仕事? — よしけん。 at 10:35 am on 土曜日, 7月 15, 2006

とある雑誌の取材オファーがありました。
なんでこんな零細企業……というか極小企業を? と思ったのですが、

「地方にて少数精鋭でがんばる企業をインタビューしたい」
と言われれば悪い気はしません。

しかし、何か引っかかるものがあったので、返事は保留にして情報を集めることにしました。
すると、「取材後に、紙面制作料金を取られる」との情報がちらほらと見つかりました。

あー、なるほどね。
書店のビジネス書コーナーで見かけるようなそこそこ有名な雑誌が、有名タレントをインタビュワーにひっさげ、誌面を丸々1ページ裂いてインタビュー記事を載せる。
そんなふうに言われれば、お金払う人もたくさんいるだろうね。
特におれみたいにおだてられやすくて、乗せられやすいタイプは。

「悪い気はしない」と思ってただけに、ちょっとへこみました。
そういうビジネスモデルもあるのね、と。
もちろんこういう記事を生かして、営業や宣伝の強みにすることもできるんでしょうが、ちょっとそこまで要領は良くありませんでした。お金もないしね。

いつも通りに地道に頑張ります。
今日も暑い。

猛暑もう。

Filed under: 一般,仕事? — よしけん。 at 10:24 am on 土曜日, 7月 15, 2006

お客さんのあまりのツンデレぶりに
SUN値ロール失敗寸前でした。

知識が付くたびに補正プラスだとか考えると
とても面白いです。

本嫌いの人が持っている間違った認識

Filed under: 一般,仕事?,戯れ言をちょっと — よしけん。 at 1:35 pm on 水曜日, 6月 14, 2006

「本嫌いの人が持っている間違った認識」として次のことを教えてくれた。
1. 読み始めた本でもつまらないと思ったら読み終える必要は無い。 本がつまらないのは作者のせい。
2. 飛ばし読み、斜め読み、結末から読み、大いに結構。 「こう読まないといけない」というルールは無い。
3. 本は活字が印刷されているタダの紙。 丁寧に扱う必要はない。 気に入ったページを破っても、折っても踏み台につかっても構わない。
4. 本を読んで感動するのは自分の人生や考え方と本が触れ合うから。 だから読み手によって感動する本も感動する箇所も違って当然。 人が読んで良かったからと言って自分に合うとは限らない。
5. 本を読んでそこから何かを得ることを期待してはいけない。 読書とは自分の頭で考えられない人が人の頭を使って思考するだけのこと。(Schopenhauer)

シリコンバレー地方版「本嫌いにさせる日本の国語、文学教育」より
(http://www.kosa-ca.com/cgi-bin/mt/archives/2006/06/post_452.html)

自分が本に接するときは、無意識のうちに上のようなルールで読んでたんですが、人に本を読ませるときはまったく逆のことを主張していたように思います。
ちょっと気に留めておこう。

最近の自分にとっての「本」は、ケーススタディの材料になってることが多いかな。
こういう事があったら、こう行動しよう。
こんな嫌な事があったら、こう考えてみよう。
そんな風に、自分のストレスや心の乱れを、やわらげたり落ち着けたりしてくれる良い薬になっていると思う。

拡大処理して大放出。

Filed under: 一般,仕事?,戯れ言をちょっと — よしけん。 at 2:35 pm on 月曜日, 5月 8, 2006

ブログ巡りをしていて、ふと目にとまった記事へトラックバック。

私が話したことはあっさりスルーされ、現場担当者が事細かに説明したこともばっさりカットされていた。
記事の半分は取材で話したことだが、半分は記者個人の激しい思い込みにこじつけた内容。
何なんだ一体。
マスコミって「聞きたいこと」しか聞こえなくて、「見たいこと」しか見えないのか。

体が勝手に:聞きたいことしか聞かないマスコミ

自分も同じような体験あるなー、と昔話を思い出したので、記憶を掘り起こすためにも文章化。

一つ目は、高校の頃の話なんだけど、「人気者の先生」を紹介する地方テレビ番組の取材。
授業の風景、生徒と先生の掛け合いを写していたんだけど、「今の会話面白かったからもう一度!」とか「そこはもう少しこういう喋り方で」とか、何かしらの誘導は多かったかなと思う。
実際の放映を見てみると、移ってる映像と音声は、まったく別々の場面を合成されていたりね。
面白く見せるためには当たり前のことなんだけど、「テレビって加工して放映してるんだなー」としみじみ思った物です。

二つ目は、これまた某地方テレビ局の取材。
学生時代の頃の話なんだけど、当時参加してた草の根BBSに、テレビ局の記者さんがいたんだよね。
で、その人の呼びかけで、インターネットの普及と法整備についての取材を受けることに。
10人くらい集まったかな。自分も含めて、みんな長い時間、真面目な議論や意見を述べ合ってた。
普段は馬鹿なことしか喋ってないみんなも、「意外とアイツも色々と考えてるんだな」と感心しあったもので。

そして数日経って放映日。
どんな風にインタビュー風景とか放映されるのかなーってワクワクしながら見てたら、

記者「インターネットでは未成年でもアダルト画像などを閲覧できますが、それについてはどう思いますか?」
友人A「見たいものは見たいですよね」

みんな大爆笑。
よりによって、そのセリフだけ切り取って、そういう使い方をするか!
記者さんは書き込みで「ごめんね!」って謝ってたけど、みんなは「良くやった!」の絶賛の嵐だったように思う。

結果的にインタビュー映像は1分も流れなかったんじゃないかな。
今思えば、番組側の「何を伝えたいか」が先にあって、それに沿った意見をチョイスして放映しただけなんだよね。

ちなみのこの記者さん、普段はどんな素朴な質問にも丁寧に応えてくれて、非常に誠実な印象を受ける人でした。
「どうして会社従業員のことをニュースでは『社員』って、実際の定義上とは違う呼び方をするの?」って質問にもなかなかの長文で答えてくれました。
良い思い出です。

三つ目は、某地方新聞の取材。
音ゲーが全盛期だった頃かな。福岡で盛り上がってる集団ってことでインタビューを受けました。
そのインタビューの最中、ひとつ気になったのが「地域に貢献するボランティア活動はしているかどうか」をやたら聞いてくる事。
残念ながらゲーセンでただ遊ぶだけの普通の学生だったもんで、そんな活動はしてないわけで。
ああ、そういうストーリーを作りたいんだろうなーと苦笑したのを良く覚えてる。

四つ目は、某週刊誌の取材。おお、これは全国誌だね。フフ。(←ミーハー
これも長々と取材受けたんだけどね。
結構真面目に考察も交えて色々なことを話したんだけど、実際の誌面を見てみると、たった一言だけを切り取られて、しかも「やっぱ最高ッスよね!」と変な若者風に。
会話のどこを切り取られて、どんな風に拡大解釈されて紙面に載せられるか、そういうのを目の当たりにして「マスコミってこえー」と実感した次第。

こういう事例を挙げて「マスコミって最低だね」なんて言うつもりはなくて。
それよりもこういうことって、普通の友達関係とか家族関係とか、そういった身近な人間関係でも起こりうることだよね。
誰かから聞いたうわさ話を、そのまま自分の中でイメージを膨らませて、それだけで「あいつは酷いヤツだ」とか「信用できない」とか言ってしまったりね。
相談事もちょっとした会話だけで、自分の中にあるステロタイプなイメージに付き合わせて、「それはこうだ」と結論を出してしまったり。

できればもっと会話をするべきだよね。
どんなに薄い話でもいいから、数多く話をしていけば、思いこみとか拡大解釈はなくなっていくように思う。
ニュースやドキュメンタリーだって、見たままを受け取って「悲しい」とか「楽しい」って感情をすぐに持つんじゃなくて、一歩退いて「まだ見せてない情報あるんだろう?」って疑うことも大事かもしれない。

といっても難しいのは、理解し合うための会話を続けること自体、「ウザイ」と感じる人がいること。
そして、ニュースを見ていて、「こんな悲しい境遇にあってる人がいるのに、それを素直に悲しめないのはおかしい」と憤慨してしまう人がいること。
どちらの言い分は正しいけれども、だからと言ってこちらの意見を引っ込めるべきか、それとも押してみるべきか。
いつも距離感に迷う毎日。

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