決算
決算が片付いたのでやっと一安心です。
これで開発に集中できます。
8月いっぱいは休みが無さそうな勢いです。
決算が片付いたのでやっと一安心です。
これで開発に集中できます。
8月いっぱいは休みが無さそうな勢いです。
何か頭に来ることがあったら、その内容を誰かに聞いてもらいます。
そして最後に、
「って些細な事で怒れる小さい人間ですよ、おれは」
と付けると心が落ち着くような気がしています。
あくまでも気がするだけです。
実例:
「ここは車一台しか通れない道ですよ。スルスルとここを通ってきてもう出口なんです。それは絶対に見えてるでしょう? それなのにどうしてあなたは後からこの道に入ってきて出口を塞いで、『そっちが退がりなさいよ』みたいな顔をしているんですかね。ちょ、ちょっとオバサン! なんでジリジリ進んでるの!? お願いだから退がって。あなた今この道に入ったばかりで1mも下がればこっちは通り抜けられてあなたもこの道に入れるじゃないですか、言ってることおかしいですかね。なに、なにその顔は? どうして退がらないのって顔はなに? きょとんとしているのはどうして? あれあれあれー、もう仕方ないわね私が退がってあげなきゃよいしょっとって表情で退がっていくのは何? どういうこと? おれが悪いの、ねえ、おれが悪いの。ちょっとどう思うよこれ、ねえってば、これって絶対おかしいよね!! って些細な事で怒れる小さい人間ですよ、おれは」
一気に怒りを静めて自嘲気味につぶやくのがポイントです。
そういえば、女性には非常に悪いのですが、どうしても笑ってしまって仕方がない話があるので紹介します。
それは「女ドライバー・サウザーの定理」というもので、北斗の拳に出てくるサウザーというキャラクターの「退かぬ、媚びぬ、顧みぬ!」という名言になぞらえたものです。
『退かぬ!』
何が何でもバックをしない。
狭い道でのすれ違いで、自分が下がればすれ違えるのに絶対に下がらない。
壁に突っ込んでガリガリ異音がしているにもかかわらず、さらに前進しようとする。
自分が一方通行を逆走している場合でも
「バックできないんでそちらが下がってもらえます?」と平気で言う。『媚びぬ!』
周りの車両・歩行者に対して気配りをしようという気持ちが一切無い。
他人を危険な目に遭わせてもなんとも思っていない。
車を停めるときでも
「ここに停めたら車両・歩行者の通行の邪魔にならないか?」
「ここに停めたら建物への人の出入りの邪魔になる」
など停めてもいい場所かどうかを考えない。
世の中は自分を中心に回っているというような思考を持っているようだ。『省みぬ!』
事故を起こしそうになった。または事故を起こしてしまった。
狭い道や車庫入れのときに車体を壁に擦ってしまった。
メンテナンスを怠って故障した。調子が悪くなった。
このようなときに
「自分のどんな行動がそういう事態を引き起こしたのか?」
という自らを省みる行為をしない。すべて他人のせい。
そういえば、狭い道で車同士がすれ違うことを「離合」と言うのは、九州だけって本当ですかね。
確かに、北海道にいたときには聞いたことないような気もする。
自分の仕事はスケジュール通りに進み始めたので、FFにちょこちょこ復帰してみました。
ふと最近思った話。
異国の方とパーティ組むと、強烈に「コメント力」を求められるような気がする。
なんでだろう。
ひと言でばしっと印象づけるような事を言いたいと思ってしまう。
先日のとある外人混成パーティ。
どこに住んでいるか聞いたら「カリフォルニア」と応えたので、
「カリフォルニアなら知ってるぜ、ターミネーターが住んでるんだろ? ヤツは強いから俺たちのパーティのレベルじゃ勝てないぜhehe」
と言ったら、「LOL」(大爆笑の意)を貰いました。
大文字でLOLです。
日本人に何度も「ワロタ」とか「w」とか重ねられるより嬉しいのは、オレだけですか。
と思ったけど、単なる外人コンプレックスのような気がしてきました。
ここ最近、今までほとんど見なかったテレビを、良くつけて見るようになった気がする。
誰かの言葉に「時間が無いと嘆いている人は、まず家にいるときにテレビを消してみよう」とあったが、自分の場合はテレビをつけていた方が時間ができているように思える。
いつもの一日は、仕事やって本読んでゲームしてみっちり時間が詰まってるんだけど、テレビつけるとダラっとした時間が生まれて、かえってのんびりできるんだよね。
昨日、そんな感じで見ていたテレビで、「自分が本を出すならこんな本」といった主旨のコーナーをやっていた。
その中で岸部四郎が挙げたタイトルは、「後ろ向き」。
いやー、そのタイトルに衝撃を受けた。だって、後ろ向きだよ?
今売っている本は、どんな本も散々、「前向きに考えよう」「ポジティブシンキング」とかうたっているのに、彼は後ろ向き。正直、痺れた。
彼のここ最近の人生や、表情が醸し出す雰囲気もともなって、そのタイトルは自分の中では大ウケ。
一昔前は「癒し」とか言って、立ち止まって休むことがブームになり、今(?)は前進ブームですかね。
次は後退ブームが来てもおかしくないかも?
何て言うか、本当の後退って、時々はあるべきじゃないかなって思う。
ポジティブに転換するためのネガティブじゃなくって、本当にネガティブのためのネガティブ。
…ずっとそれが続くのはマズイけどさ。
ここまでこんな事を書きつつ、「なんでそんなことが必要なのさ」と問われると、返事ができないなあ。
なんて言うか、とにかく、ひたすら前進を促す環境って、何か違和感を感じるんだよね。
「そんなに前へ前へ、上へ向かって進む必要があるの?」ってね。
確かに、100を目指している人と、50を目標としている人とでは、行動の機敏さが違うだろうし、時間の大切さへの理解もまるで違うと思う。
こんな話がある。
とある人がピアノを習いに来て、「簡単な曲が弾ける程度でいいので、上手くなりたい」と言ったとき、ピアノ教師はこう応えたそうだ。
「発表会に出られるほど上達したいって言うほどに目標を高く設定しないと、『簡単な曲が弾ける程度』にもなかなか達しない」
確かにそんな気はする。
目標が低ければ、それに至る歩みも遅々としたものにしかならないだろう。
それはわかっていて、それでも何か違和感を覚える。なんでだろう。
そんな事を考えていたとき、こんなアメリカンジョーク(?)が目に入った。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。 すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
みんな笑い話と捉えてるけど、凄く深い話だと思うのは自分だけかいな。
自分はこれから、どこから来てどこへ向かえばいいんだろう。
と10秒ほど悩んでたけど、お腹空いたのでご飯食べてくる。
夜中眠れないのでテレビ付けたら、はるか17をやってた。
公式サイト
あー、そういえばドラマ化するって書いてたなー。
これも漫画原作。
なんとなく丸々一話を見てしまったのですが、これは平山あやがスクール水着を着たり体操服を着たりするのを楽しむドラマという認識で間違いないですかね?